コラム「水準器」


■4/15 花見、入社式…一年が始まる

日曜日(4月8日)、ポカポカ陽気に誘われて花見に出かけた。大阪城公園、造幣局の通り抜け、そして大川端と巡ったが、関西では今週が満開のピークとあって、どこも通勤ラッシュなみの人出でにぎわっていた。桜を愛でる花見という習慣は、世界中で日本だけだといわれている。風流心を持ち、自然をいつくしみ、自然とともに生きてきた日本人ならではの美しい習慣である。飲食をともなうため羽目を外す人も多くて、中には花見が嫌いだという人もいる。でも春には欠かせない行事、風物詩として多くの人が楽しんでいる。 この花見、大昔は貴族など支配者階級のみが楽しんだようだが、江戸時代に入って庶民の間にも広まり、同時に桜の品種改良や老木のケアなどの技術も飛躍的に向上した。歴史に残る太閤秀吉の「吉野の花見」は、3000人が列を連ね、その長さは10kmに及んだという。また数多(あまた)ある木の中でも、桜には桜守りという人たちがいて、大木の保存や美しい花を咲かせるために頑張っている。 待ちわびた春がやってきた。啓蟄と同じで、人間も外で楽しもうという気になる。その第1ラウンドが梅や桜の鑑賞だ。手軽で安上がりにつくこともあってか、今年は近場の花見客がぐんと増えたと報じられている。そのスタイルも家族やカップル、友人同士など少人数化し、会社や地域社会、サークルのグループなんかが大きなビニールシートを敷いて騒ぐ光景は減ったように感じた。一部を除いてゴミも片付ける人たちが増え、不況がもたらしたプラス面が出たともとれる。そして、もうひとつの春が入学式、入社式の新しいことに代表されるシーズンだ。経営者の訓辞で多かったのは「コミュニケーション」という言葉で、人との、会社での、そして社会の中でのふれあいを大切にしようとの呼びかけだった。出世しろ、一所懸命、粉骨砕身がんばれ、などという言葉はまったく聞かれない。こんなところにも、時代の影を感じ取ることができる。 中世紀までヨーロッパの1年のはじまりは4月だったという。初々しい人たちが街にあふれている。老境にさしかかっている人間にとっても、何かしら心が浮き立つ時期でもある。