コラム「水準器」


■6/15 「クールビズ」が日本人の意識を変える

ここ2、3日でいきなり夏がやってきた。そして環境月間の6月がスタートしている。テレビでは閣僚会議に臨む大臣の上着なし、ノーネクタイの姿を写し出している。日本の男性はスーツさえ着ていればある程度サマになるが、シャツやジャケットスタイルはまったく似合っていない人も多い。スーツを脱ぐと、それまでのオシャレへの関心度や自らの育ちまでもが試され、横並びではない服装のセンスが問われる。「クールビズ」がスタートして一番困惑したのは、実は提唱者でもあるこの人達なのかもしれない。そういえば昔、スーツの袖をちょん切って得々としていた、間抜けな総理もいた。服装にしてもセオリーを外すと、とんでもないことになることを実証してみせた。でも今から思うと「クールビズ」の先駆者でもあったのかも知れない。
 戦後に、官主導でこの「クールビズ」ほど見事に浸透、定着したものは見当たらない。当初、かけ声だけで泡沫のように消滅するだろうと見られていただけに意外な感じもする。そして、街行くサラリーマンにもノーネクタイ姿が目立つ。見た目も涼し気で、暑さがやわらぐような気にさせる。少し前の「カジュアル・フライデー」は結局のところ浸透しなかった。アメリカから入ってきた、この新しい職場でのスタイルは間違ってわが国に広まり、職場というある種神聖な場所に、ゴルフスタイルやおなかの突き出たジーンズが氾濫し、異様な光景が出現することとなった。「カジュアル=遊び着」という誤解が生んだ失敗例でもある。
 今回のクールビズがこれほど浸透したのは、一番に日本人の環境意識の高まりであることは間違いない。しかし高温多湿の日本の夏。もともとスーツを着ること自体、無理だったのだ。スーツが脱げる、ネクタイが外せるという喜びがこの運動の浸透に拍車をかけたことも否めない。その証拠に冬場の「ウォームビズ」は一向に普及する気配が見られない。
 少し前の日本では「環境対応は大事だとは思うがお金がかかる」「何よりお金にならない」といった企業トップの声も平然と聞かれたものだ。時代は変わる。今、全国で開かれている手編糸内見会でも、環境に優しい商品がどんどん登場し、主流になりそうな勢いを見せている。