コラム「水準器」


■7/1 お店は1日でも長く存続してほしい

今、困っていることがある。昔から通っていた居酒屋や小料理屋、うどん屋、ショットバー、スナックなどが相次いで店を閉め、気軽にふらりと立ち寄れるところが無くなってってしまったのである。行けば必ず開いていて、長年のつきあいで好みもわかってくれている。少々のわがままも聞いてくれる。それは当り前のことと思って暮らしてきた。ところがここへ来て、降って沸いたような突然の閉店ラッシュだ。
 そうなってみて、客の立場からすると店というものは半ば永遠にあるものだと勘違いしていたことに気づいたのだ。20年も30年も通い続けたところばかりなので、不自由この上ない。考えてみればこちらの年齢同様、先方も年を取って気力、体力、サービス精神、集中力ともに失せ、無事隠居に至ったところがほとんど。慶賀すべきことで、文句をつける筋合いではない。だが60歳を過ぎてからは新規開拓の情熱も体力も残っていない。馴染みの店がないのは本当つらいものだ。
 これ以外にも、地元で長年がんばってきたさまざまなお店が大型スーパーなどの進出によって、力尽きて閉店に追い込まれるケースも眼にする。とくに関西で目立つのが公設市場の凋落ぶりで、会社のある天神橋筋商店街でも唯一存在した市場(天満市場を除いて)は20数店のうち、2軒のみが営業を続けているだけだ。細長い通路はシャッター通りと化している。
 自由競争に破れ、消滅していく店の現実は手芸業界も例外ではない。ともあれどんなお店も、どんな形にせよ存続してほしいと願わずにいられない