コラム「水準器」


■7/15 一晩だけの田舎暮らしで考えたこと

 7月に入っても、大阪は朝晩涼しく、しのぎよい毎日が続いている。天神祭が近づくと、毎年うだるような蒸し暑さに襲われるが、今年は何とも爽やかで快適な日々を過ごしている。今日もオフィスの空調はオフにしたまま。こんな経験は今までなかったことだ。
 先月、田舎暮しの友達の家に、高校時代からの友が数人寄って一晩飲み明かした。彼は数年前、奥さんに先立たれたのを機に仕事もやめ、田舎暮しのための家探しに一年を費やした。そしてたどりついたのが兵庫と岡山の県境の村。コンビニまで数キロはあろうかという小さな村落。山とも丘ともつかない低い山並みが三方に迫る。蛇行しながら流れる小さな川辺に建つ茅葺き屋根の家が彼の終のすみかだった。敷地350坪、蔵に畑までついている。
 改築に2000万円かけたという。土間をフローリングの床に替え、座敷の柱は磨きをかけ、畳を総替えした。飛騨高山まで行って求めた囲炉裏を囲み、天井の太い梁から吊るした鍋と、炭火のまわりの灰に串刺しにして焼いた川魚を食べた。
 もともと釣りが好きで、道具にも凝りに凝る。魚を捌いてくれた包丁もプロ仕様で数万円するものを何本もそろえている。彼は言う。「持つ喜びではなく、使う喜びを味わうために買うんだ」と。いい道具は心を豊かにする。安物の道具だけは絶対に買うなと説教された。
 何もかも便利で、しかもモノに囲まれた生活から開放され、ゆったりと流れる時間は何物にも変え難いのだろう。手先が器用で、身近なものはほとんど自分で作る。3年の間に畑仕事も極め、野菜は自給自足に近い。夜明けとともに起き、夕暮れになると料理にとりかかる。原則としてテレビは見ない。このあたりは全国的にも知られる、星がきれいな土地とかで、その晩も夜空には降るような星がきらめいていた。この暮らし、憧れはあるが僕には到底できない。星空よりネオン人間のしみが取れそうにないと感じる夜だった。