コラム「水準器」


■09/15   コミュニケーションをとれない人が増えている

 最近、便利さにかまけ、ほとんどの用件を電子メールですませてしまっている。意志伝達ツールとしては確かに便利だが、果たして届いた相手がどう感じているのか、皆目分からないことに不安がよぎる。会社を訪問して対面すれば、相手の表情が読み取れるし、電話でも相手が怒っていれば、どの程度の怒りか判断できる。メールだとそうはいかないと思いつつ、朝、パソコンを開いて、まず電子メールをチェックすることから仕事が始まる。そしてメールのやりとりが、オフイスで過ごす時間のかなりの部分を占める。
 一時期、業務の効率アップのために、細かいことでいちいち会社を訪問することはない、FAXかメールですませなさいと通達を出す企業もあった。限られた勤務時間の中で、電車や車での往復の時間がもったいないというのだ。しかし、不景気が長引き、得意先も減ってきた今、効率よりも膝を突き合わせて商売しようという流れに戻りつつある。
 メールに限らず、人と会わないですむ社会には、今まで経験したことのない弊害が現れ始めている。コミュニケーション能力が欠如している人達が増殖することによって、さまざまな問題が生じている。そして、感情をコントロールできない人達が増えた最大の原因は、インターネットの普及によるところが大きい。パソコン通信、電子メール、SNSなど、コミュニケーションの手段はどんどん進化するが、これらのすべてが文字だけの情報伝達で、対面や電話から得られる情報量と比べて圧倒的に少ない。さらに、これらの情報は一方通行になりがちで、感情のもつれ、誤解が生じ、怒りをつのらせる原因となる。ツイッターの炎上はその典型だと見ることができる。目の前に相手がいないので、殴られたり、危険にさらされる心配がなく、言いたい放題、自分を安全圏に置いて責任を取らなくてもよい社会が出現しているのだ。
 「謙譲」の心が日本人の美徳とされた世の中はもう遠い昔になってしまったのか。このインターネットの浸透と軌を一にして、一般の人達が我慢しない社会になりつつある。隣人が騒いでいれば警察を呼び、たとえばベランダで煙草を吸うのはけしからん、何とかしろという文句をうけて市が条例をつくる。以前、このコラムでも書いたことがあるが、盆踊りの音頭がうるさいとの苦情から音楽を消して、無音のお通夜のような盆踊りを行っている地域もある。近隣も国民も昔のような「仲間意識」のもとで暮らしているわけではない。被害妄想的な感情をコントロ?ルできない人達が行政体まで巻き込み、やりたい放題が罷り通る、嫌な社会になってしまった。